2022 夏 111-12

Hold me thight daring!! と八月の風を毎年抱きしめたくなる毎年の夏ですが、

今年も夏に恋焦がれて、何かしたくなるのは私だけではないはずです。

 

さて、今年のお盆の過ごしかたについては以前から夢でもあった車上生活を実施&学生の時にできなかった北海道旅行の埋め合わせをしてまいりました。

 

1.車上生活について

 私の夢でもある車上生活は、はるか幼稚園のころなぜかミニカーでバンをあえて選んで遊んでいたことがルーツになり、移動して暮らして旅をすることが夢でした。

今回怒涛の6日間でしたが、なかなかワンボックスでも寝る面でかなり苦労致しました。

 ポイントとしては、遮光性と居住性の問題で、夜でも街灯がまぶしいのと思いのほか社内で寝るのは固い点でした。東北の高地・北海道でしたので暑さについてはどうにかなりましたが、疲労で寝落ちに近い状態でした。しかも今回コロナ禍のため、事前に乾パン(会社の賞味期限切れを引き取り消費)とカップラーメン(株主優待で消費しきれない)を持ち込み最低限の接触での旅行でうまいもの食えてない…

帰ってきた際に吹き出物が出てたみたいで、体が受け付けないようでした。

 

2.学生の時にできなかった北海道旅行の埋め合わせについて

 学生時代に原付で2週間旅行しておりましたが、貧乏かつ、余裕がなかったので行けてなかった。箇所の埋め合わせをしてまいりました。

埋め合わせポイントとしては豊富町のガソリンの匂いのする温泉と函館のラッキーピエロでバーガーを食べる。

今回はさらに室蘭でGree時代の友人とリアルでお会いする機会に恵まれました。当時は私は中二病。彼は新婚さん。いまや私は2児の父、彼は年頃の娘に悩まされるおじさん。北海道特有のでっかいどーでまだ行く理由がありますが、北海道は好きです。

 

帰り道も唯一後悔したのが音楽のレパートリーを増やすべきでした。

さすがにカーラジオでも好き嫌いがあって辛かったです。

2022年の夏はとりとめもなくただヤドカリのような夏でした。暇という贅沢なのかも。

 

前の会社の上司 111-11

ここで申し上げたいことについて:

会社員人生でいい会社でも上司で当たりはずれがあって

それによって仕事が面白くなったりつまらなくなったりする。

ずっと続くことではないことではないが、それを続けていけるかが会社員だと思います。

 

前の会社の上司はまともな人とまともじゃない人もおりました。ここで触れるのは中間管理職で直属の上司です。

あくまで私の経験が参考になりますと幸いです。

 

上司1:業務課長

 大雑把だけども発達障害に理解があって、悩みや相談を聞いてくださった方。入社後に〇〇会という飲み会(〇〇は課長の名前で不定期な交流会)があり招待頂いた際に、生産とか他部署の方を紹介して頂きました。おかげさまで他部署への問い合わせや仕事で関わることで社内での仕事がやりやすくなったし、声をかけていただけるような人間関係ができたのはこの方のおかげで今も感謝してます。

 

上司2:企画課長(パワハラハゲ)

 海外出向者から出戻りの人、頭の回転が速いせいか独特な論法があり弁が立つ上司でした。そしてパワハラ上司で先輩がストレスにより禿げた原因を作ったり、後輩の歓迎会で幹事をしていた私に無茶ぶりを振って人前でボロクソにこき下ろしていったエピソードがあります。人の上に立つ人間ではないことと、名ばかりの承認者で実際実務を一緒にするようになった場合には潰される気がしました。

 

上司3:営業課長(ジェントルメン)

 凄く物腰の柔らかい、丁寧かつ頑固でもある課長。丁寧さもありながらお客様を納得させる綺麗な英語と丁寧な文章、そして洒落もできるジェントルメンでした。

管理職というよりプレイヤー気質、上司である部長とは時として対立もありただ真っすぐで誠実でお客様から厚い信頼を持つ、上司としてではなく営業プレイヤーとしての鑑である尊敬する上司でした。

 

上司4:営業課長(官僚)

 官僚のような人で、チェックと管理のスペシャリスト。自己保身が得意技で慎重しすぎる。彼の課長時代には承認に納得がいかないと承認を一切せずお客様を怒らせ信頼を失ってしまっている。彼の仕事への態度が営業担当者も仕事が主に承認を得るためだけのようで仕事がつまらなくなり離職するような根本的な要因を作りました。そもそも社内での見積もり申請や人員が育つ前に辞めてしまっている現状を直視せず、現場を無視した官僚まがいの態度で業務に接していたのが同僚や部下が離れて営業課ないし、事業部がつぶれて海外グループ会社へ移管してしまいました。

 

上司5:営業課長(現場上がり)

 現場からたたき上げで中間管理職として勤めております。彼と私は共に特殊な製品を扱う部署へ異動し、国内外の市場を見ることとなりました。私はその部署で海外担当となっており、輸出関連での取引の度に”上司4”へ稟議承認が必要で結局業務に滞りがでてしまっていて仕事への不満は一緒に共有する仲となった。

 

結局”上司5”も会社からも部署への扱いが不遇でもあり(過去に粗利をあてた案件のうまみを知ったため続けているだけの部署)、彼が数年後定年退職をしたらどうなるのか、自分が物件をまわせるわけもなく辞めることにしたのでした。

 

蛇足ですが、

上の部長と経営層についてはトップが創業家のお嬢様で事実上経営能力はなく、経営層幹部は自己の派閥争いで忙しいという本末転倒な会社でした。

自称ホワイト企業、営業はサービス残業、自己保身の最後は廃業。

 

転職活動について 111-10

転職活動について

ざっくばらんに申し上げますと

2021年4月私は転職活動を始めて2021年8月に内定を頂きました。

 

背景

・元は前から気になっていた海上物流の会社のホームページをふらっと見ていたら

中途採用募集要項を発見しました。急遽、募集要項TOEIC500を超えるべくTOEIC受験しました。(スコア490→545)

・次女が生まれて正直年収を考えたら続けるのは厳いのもあり。待遇の良い会社を受けたかった。

・自分の所属している部署が嫌いになりました。

  元々離職者の多い部署で続かないことと将来性がないことがわかっていたのと

(元々15人くらいの営業の部署で直近3年で9人退職)、ちゃんと評価されなかったため(予算125%に対して評価が悪い)、誰も教える人がいない余裕がない環境での引継ぎや上司との軋轢があったため(保身と優柔不断で彼が課長の時に6人退職した)

愚痴については山のようにあるのでこれくらいにします。

 

手段について

TOEIC受験後、履歴書・業務経歴書を作成し転職サイトへ登録しました。

 Youtube での転職エージェントの話や、やめた先輩からもアドバイスを聞き、今までの営業としての棚卸しをしました。その後自分での評価と友人からの評価を元にいかに自己を製品として売っていくべきか協議し、履歴書・職務経歴書をエントリーする会社向けに作り上げました。

 

・エントリー、面接を経て

 自分でエントリーするのと、一方で転職エージェントを使い転職活動をしていきました。転職エージェントは2社活用し、そのうち1社で内定を獲得しました。面接は慣れ何回かは落とされる覚悟で面接の練習し、本命に臨むことをお勧めいたします。

 エントリーは複数社受けて、5社ほど面接し転職活動を終えました。書類選考自体足切りされることが多くて、選考が進むにつれて選ばれる立場でありつつも選ぶ立場でもあると気持ちを持つべきです。第一希望の海上物流については書類選考で落ちました。

 

最後に

内定を頂きお盆休みに入った、ちょうど一年前の話だったのでこのお話をいたしました。

内定貰った直後に直属の上司(直近で部署も変わった為、前述の課長とは別)へすぐその旨をお伝えして”そうか・・その時が来たのか早く連絡してくれてありがとう”と少し寂しがる声を聴いたのが、ただ記憶に残っております。

唯一の後悔はコロナ禍もあり、その上司と出張して出先で飲むことができなかったことです。

 

2年の時を超えて2022 111-9

ほんとに久しぶりでございます。

 

といっても元々国際結婚をして日々の記録を書いていくという目的でブログをはじめまして、ほぼ3日坊主で終わってしまいました。

今回は文才がないのを自覚してリハビリも兼ねた練習と、備忘録の再開で書いてます。

2020年明けたばかりから何があったかと申しますと、

 

大きくニュースとして3点あって

・2人目を授かったこと

・永住ビザをとれた

・転職をした

 

2人目を授かったこと

 これは去年2021年コロナ禍の中で次女が産まれたことです。

立ち合い出産はできない環境でしたが、無事産まれてきてくれて嬉しいことでした。娘はNew(ニュー)というあだ名がついてます。上の長女は保育園と私との生活でママと会えず寂しい思いをしてしまったけど一緒に過ごした時間は私にとっては忙しくもかけがえのない時間でした。

 

永住ビザをとれた

 妻のビザを更新時に永住ビザとして申請、無事許可を頂きました。

ついにグリーンカードを入手、なかなか滞在4-5年では認可が下りないとのことです。

本当、行政書士様には大変お世話になりました。

 

転職をした

 転職を致しました。前の会社で良かったことは休日が多く、家族と過ごす時間ができました。今となってはとてもよかったと懐かしく思います。

 

気がむいたら2年間の隙間を埋められるようにふとアウトプットを兼ねて

日々の記憶を書かせていただきます。

 

 

 

 

 

食欲の秋 111-7

馬鹿だった・・・・仕事のストレスを理由にお菓子をドカ食いして

 

かなり太ってしまっております。

 

マレーシア出張で深夜作業をして忙しくしてメントスと中華料理を食べ、

帰国後も頑張った自分にご褒美と甘々のお菓子を買い

 

子供にと買ったお菓子を食う始末・・・・

 

パパ失格、完全に糖分依存してます。

つくづく一日一個卵を食べるというのを生きがいにしてた頃が懐かしい

 

ブログでやや反省します。

短絡的な衝動で食べた費用を考えたら株主優待なんか一社分買えたんじゃないかと

 

会社の後輩の文章訂正にボソッと悪魔超人とかいてクスっとさせるのが好きです。

 

飯盒を買う 111-6

飯盒を買った。

 

1000円くらい、元々キャンプが好きなのもあって増税前に購入

満州および支配地域からの引き上げを見て、市民、軍属が皆持ってみんなで食事をしていた姿を見て購入。

抑留生活でもスープの皿や何かに使ってており、食に困る前に持っておくのにはいいのかもしれない(炊飯器が被災した時に、使える保証はないのですし・・・大量供給できるデリカフーズの工場が破壊したら復旧にすぐ…ってできませんし。)

(引き揚げ資料館 https://m-hikiage-museum.jp/

 

特に”竹林はるか遠く”という小説で読んで感じた作者の逃避行が参考になりました。

 

さらにスノーピークのチタンカップアルペン株主優待券2000円分あるのでタダ同然で購入

アルペンの店舗で販売しているのはネットで比較すると価格で大いに負けているので

店舗で買う場合はPBやスノーピーク等の他とは安いもの、ネットとの価格で謙遜ない価格のものを買う場合がお勧めです。(アウトレット品もお勧めします。)

個人的には就活の時に週休3日というとこにびびっと来て受けて落とされた恨みつらみしかないのですが、年間4000円+配当金を考えると私の下着とか靴下を毎年支給してくれるという権利で持ってます。

 

正直ワークマンに押されて負けておりますが、PBで頑張っていただいて配当を養分にしていただけますようお願いします。

キャンプや登山に注力してほしいです。

 

 

もうサバイバルグッズ集めすぎて逃亡犯や亡命者みたいな路線を歩んでいる気がします。

本心としては何があっても生き延びたいという欲求なのですが・・・